今でもあの日を忘れない。
 ほとんど誰もこない部室に元気よく入ってきた2人目。


「たのもーーーーー」


 一人目はこちらが引くほどの勢いで入ってきて、二人目はドーナツの箱を手にしてやってきた人物だった。
 旬は訝しげに、夏来は少しだけ警戒して、四季は茫然とその人を見ていた。
 けれど、自分はその人物に一瞬で見惚れた。
 平均よりも高い身長、整った顔立ち、優しそうなその声。


「あれ?ここって軽音部だよね?」



 驚いてその人をまじまじと見ていたら、声をかけられてやっと俺は我に戻った。
「あっ、もしかして入部希望!?」
 近くに行ったら、その人物はますます綺麗な顔をしていて、人形かと思うほど綺麗な顔立ちの夏来とは違う系統のモテそうな顔をしていた。
「キミ、新入生?名前は?」
「あ、はい!若里春名でっす!よろしくお願いしまっす!」
 ピースして笑ったその顔は本当に格好良くて、自分よりも年下だなんて思えなかった。



 まぁ、実際嘘だったわけだけれど。  年齢の事がばれた時は旬は怒って、夏来は納得したようで、四季は気付いていたようだった。
 旬は信用できないと言ったけれども、俺は春名が悪い人には思えなかった。
 理由を聞いたら、「退学」がかかっているらしくて、それでどうにか部活を頑張らなきゃいけないのだと知った。不純だと旬は言ったけれどもどうにかして俺は春名にいてほしくて旬に頼み込んだ。


「……ハヤトがそういうなら仕方ないですね」
「ジュン……」
「けど、その代わり条件があります」
「え」
「ハルナさん」
「は、はい」
「ハヤトに頭を下げさせた以上、まさかテストはそのままでいいだなんて思ってないですよね?」
「え……」
「ハルナさん、テストがせめて平均点は取れるように一緒に頑張りましょうね?」


 にこりと笑った顔に何故か春名は固まっていた。
 夏来と一緒に「ジュンは優しいな〜」と思って、同時に成績が良くない四季もつかまっていた。


 それから皆でアイドルにスカウトされて、自分達5人は他の高校生よりもずっと濃密な青春を送っていたと思う。
 でもいつからだろう。
 自分が抱える春名への感情が他の人と違うんだと気づいたのは。
「俺たちが悩むときはいつも相談にのってくれる太陽みたいな存在かな!」
 あこがれ、とも違う。
「励ましてくれるけど、自然体でさ。そういうところがカッコイイんだよな……」
 女の子にモテたいと、きゃーきゃー言われたいって思ってた。
 それは今でも変わらない。
 でもそれ以上に苦しくて辛くて、それでもやめられずにいた感情。



 ああ、俺はハルナの事が好きなんだ。




 そう思うとすとんとおちてきた。
 でも、男同士である以上この恋が実る事なんて絶対にない。
 傍にいるだけで幸せなんだと自分に言い聞かせて、友達の中でも一番仲良くいられたらそれでよかった。
 例え、春名の世界が広がっても、一生懸命頑張れば隣にいることはできたから。
 けど、そんな夢はかなうことがなかった。



「アイドルをやめる…?」
「ああ」
 俺は歌をうたっていられたら、ギターを弾いていられたらそれで幸せだった。
 でも、春名にとってはそうじゃなかった。
 当たり前だ。
 元々、春名の目標は高校の卒業で、アイドルになることじゃなかった。



 High×Jokerは売れなかった。
 事務所は頑張ってくれたと思うし、皆頑張ってた。
 でも、頑張ってた、だけじゃ意味がないんだとすごく思い知らされた。
 お金がいるんだ、という春名の言葉に俺は何も言えなかった。
「そっか」
「ごめんな、ハヤト」
 寂しそうに笑う春名を引き止められなかった。
 ずっと一緒にいてだなんて言えなかった。
 好きだなんて言えなかった。
 これがお別れだなんて思いたくなかったから。
 また会えると信じていたから。
 嫌われたくなかったから、俺は何も言えなかった。
 春名に「またね」と言ったその言葉を信じたかった。
 


 もしも、二度と会えないと知っていたなら、あの日に戻れたならば俺は春名の腕をつかんで好きだと、嫌われてもかまわないから言うのに。
 でも、春名が俺の前からいなくなって、みんなと連絡が取れなくなってから5年が経過した。
 5年という月日は長い。
 17に出会って、1年と少しの間に培った春名への思いよりも長い年月だった。
 俺はお酒が飲めるようになって、大学を卒業した。これで売れなければ解散という最後にしようと決めた歌がたまたま大手企業のCMに起用されて、high×Jokerは人気バンドになり、やっと光を浴びた。  


 ドラムの音はないまま。



 別に、バンドを組んでてバンドがいないユニットなんて少なくない。
 でも、春名のバンドがない日々は寂しかった。
 昔から俺たちの音を知っている人たちは時折、「ハルナ君が戻ってくるといいですね」とひっそりと手紙をくれる。
 春名の話題がタブーになっているのは薄々知っているようだった。
 一度、そのことに触れて、旬と四季の顔が曇ったせいだった。そして、旬の意向を准ずる夏来も含めて3人にはいってはいけないと古いファンは思っているようだった。
 春名のファンにとってそういった事を言えるのは秋山隼人の前だけだった。
 その理由はオフレコだが、秋山隼人のソロイベントで春名の事をぽつりと言ってしまったファンの前で隼人が泣いたせいでもあった。



「俺もハルナに会いたいよ」



 多分、春名のファンと俺は同じ気持ちだった。
 若里春名に会いたい。
 プロデューサーに採用されないと解っていても、ずっとずっと恋愛の唄を作り続けた。
 ドーナツの香りが恋しい。
 売れるようになって、いろいろ考えた結果、俺は家を出た。
 ファンが多くなったのもあったし、ギターを時間を気にせずに弾きたいことや、事務所に近い場所を借りた。
 5年間という長い年月を重ねて、ある意味美化されてしまったあの青春時代をリセットしたかったのかもしれない。
 新しい家は慣れないものの思ったよりも居心地はずっと良かった。
 穏やかな日々。
 春名の写真を実家に置いてきたこともあって、彼を思う日々も減った。
 一ヶ月経過したころにはもうこの恋は終わると思っていた。



 そう、信じていた。




 強い雨が止んだ朝だった。
 目覚ましが鳴るよりも速く目が覚めて、昨日強い雨が降っていたから、少しだけ外に出たいと思って隼人はそっと扉の外を出た。
 少しだけ肌寒い風が吹いていた。
 隼人は空を見上げて今日は天気が良さそうだと思って少しだけ歩こうかと思っていたら、ゴミステーションに粗大ごみが置かれているのが見えた。
 誰か住人が日にちを間違えたのかと思った。
 隼人は何だろうかと足を向けた。
 そのゴミは動いていて、まさか動物が虐待されて捨てられたのかと思い隼人は焦った。
 すぐに手当てをしてやらねば、と思っていたが、どうやら違った。


 人だ。


 人が倒れている。
 見えるズボンの履いた脚を見て俺は慌てて走った。
 すぐに警察に連絡、否、救急車の方が……?などと思っていたが、その人物を見て隼人は頭が真っ白になった。


「……は?」


 人は本当に驚いたら声を喪うのだと知った。
 5年間。
 長い5年間だった。
 会いたいと思っても会えなくて、春名の家にいってもいなくて。
 隼人は行き場のない思いをただ抱えて、やっと清算しようと思って今の生活を送り始めた。



 でも、神様は許してくれないらしい。
 俺にこの思いを抱えて生きろと誰かが言っているようだった。


「はる、な……」



 見間違えるはずがない。
 ボロボロのシャツと薄汚れたズボン。
 ぐしゃぐしゃの髪の毛に伸びた髭。
 でも、俺にはすぐに分かった。
 5年経っても、否10年経過しても、もっと経過してもきっと忘れない。


 目の前に倒れているのは、隼人の想い人、若里春名だった。 





「……」


 アイドルになっても暮らしは楽にならなかった。
 それでも此処は楽しかった。本当はもっと皆と一緒にいたかった。
 けど、ずっと迷惑かけ続けた母ちゃんにこれ以上迷惑かけられなかった。とはいえ、手に職もない自分がまともな就職できるわけもなく。
 いつか。
 いつか、必ずマトモに就職して母ちゃんに楽させてやりたい、と思っていた。
 けれど、その前に無理がたったんだろう。
 母ちゃんの心臓は突然止まった。
 なぜとか、どうして、ばかりは頭の中にあって、泣く事も出来なかった。
 親身になってくれるような人もおらず、オレは言われるがままに手続きをして、灰になった母ちゃんを見て、骨も拾えずにその場で項垂れた。  



 それでも生きていかなきゃいけないから、どうにかして頑張らなきゃいけないけれど、その日その日生きていくのが精いっぱい、というよりも、自分に生きる意味がなかった。
 家に帰るのも億劫、というよりも家賃を払う事すらきつくなって、家を出る時に何を持っていくかと考えた時に自分が過ごしてきた日々を綴ったアルバム、父ちゃんと母ちゃんの遺影、そして―――


「……」


 これだけは捨てようと何度も思いながら棄てられなかった。
 けして送れないと思っていた青春。
 それを示すかのようなドラムスティック。
 オレにとって特別な、大事な宝物。
 すべて処分して家を出ていく時見上げた空は暗くってどうしたらいいのか解らなかった。


 その場その場しのぎでどうにか生きて。
 あの頃、「格好良い」と彼が言い続けてくれたオレとは真逆のものにどんどんなっていく。
 そもそも、自分はもうHigh×Jokerの一員じゃない
。  それでも、辛い時、テレビから時折聞こえるみんなの音楽がオレにとっては唯一の楽しみだった。
 ドラムがなくても4人の音楽は完成されていて、やっぱり自分なんていなくても大丈夫だったんじゃないかと思えるほどに。  



 けれど、許されるならもう一度、たった一度でいいから。
 ハヤトのキラキラと眩しいあの瞳に会いたい。
 





「……」



 体の節々が痛くて目を覚ますと見慣れない天井があった。
 昨日の夜の事を想いだしても記憶がなくて、誰かが酒を奢ってくれた気がしたがそこから覚えていない。
 まさか、とうとう体を売ったんだろうか?と自分自身が信頼できなくて、それにしては尻は痛くない。
 それに何故か安心する匂いがした。
 どこかで嗅いだ事があるような、優しい匂い。
「……」
 オレはぼーっとする頭のまま体を起こす。誰かいるのだろうかと思ってベッドから抜け出して居間へと向かう。
 誰かいるだろうか、と思ったが誰もいない。
 ただ、あるのはメモと、ドーナツだけ。
「……」
『ハルナへ。



 ちょっと仕事が入ったので、ドーナツを置いておきます。たべてください』



 それから、追伸でひげをそる様に、とか、お風呂は勝手に入ってとか、色々書いてあった。
 とりあえずオレが変な人に拾われたのではない、という事は一応解った。
 否、もしかすると拾われたのかもしれないけれど。
 それでも何故だろう。オレはこのメモを書いた人間が悪い人間には思えなかった。
 確かにいつから風呂に入ってないか覚えてない。
 一応、ある程度はネットカフェとかで入ったけどそれだってシャワーとかその程度だ。オレは言われるがままにまずは風呂に入ろうと思って浴室へと向かう。
 そういえば、ここの主はどういう人物だろうかと思ったけれどこのままではくさいから失礼かと思ってまずは風呂に入ってからだと考えた。
「……ふぅ」
 湯沸かしを使い、その間にシャワーで汗を流す。
 汚れや垢、脂が体から流れていくのが解る。このままでは悪いと思いいつもより多めに髪の毛を洗う。シャンプーやリンスを使う事に抵抗がなかったわけではないがそれでも相手から言っているのでいいのだろうと結論付けてオレは使わせて貰った。
 久々に綺麗になったことを実感すると、湯船へと脚を入れた。
 お湯が体にしみこんでいくかのように疲れが取れるのが解る。
「……きもちいい」
 しっかりと伸ばせる湯船にここの主人はそうとう金持ちなんだなぁと思う。
 同時に一体誰なんだろうかと疑問を抱く。いったいどういう流れで自分はここに世話になる事になったんだろうか。
 やっぱり昨日の夜の事を覚えてない。
「……そういえば、父ちゃんと母ちゃん…」
 遺影の入ったかばんはどこだろう、風呂から出たらすぐに探そう。
 オレはそう思いながら余りの気持ちよさにのぼせかけるまで風呂に入っていた。
『これをつかって』と新品の剃刀が用意されてて、伸び始めたひげをそった。
 髪の毛も切りたいなと思っていると、ハサミも隣にあったため、髪の毛の先をある程度整えてから居間へと戻る。
 本当にここの主人はいい人なんだろう。
 新品の服が用意されていたし、メモも一つ一つ丁寧に書かれていた。
 かばんもよく見ると寝ていたベッドの横にあって、荷物が足りていないなんてことはなかった。
 その上、オレの好みを知っているのかどうかは不明だがドーナツが1箱まんま用意されていた。
 ドーナツの箱を開けようとすると「好きなだけ食べて!飲み物も!」と書かれていて本当に人がいいなとオレは思った。
 きょろきょろと見回すと、見知った顔のポスターがいくつもあった。
 そして、その中には
「……」
 High×Jokerが初めて出した、デビューシングルの時のポスター、18歳の、まだ救いようがあった馬鹿だった頃のオレが写真に写っていた。
 となると、相手はオレが元アイドルだと知っていたのだろうかと思ってしまう。
 じゃあ、いい人だというのは気のせいで本当はやっぱりオレの体が目的で…?
「……違う」
 なぜかそれは違うと思った。
 会った事もない相手なのに、知らない場所なのに、何故かはっきりと言える。
 ここの主人は、



「……ハルナ!!」



 凄くいい人だって。  そう思った瞬間、バタバタと足音が聞こえて、凄い音でドアが開くのが解った。
 優しい、飴玉を溶かしたような甘いその声を聞いてオレは時間が止まったように感じた。
 ああ、相変わらず泣き虫だなぁと思いながら彼の、ハヤトの行動を見つめていた。
 抱きつくるハヤト。
 そのぬくもりに、なぜかオレは少しだけ誰かに許された気がした
。  それが誰なのかは解らないけれど。




「……っ…ハルナ」


 肩を上下させて嬉しそうに泣いているハヤトの背中を撫でながらハルナはハヤトの体温の心地よさを感じていた。
 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかないため、ハルナが座る隣の席に座らせ話を聞く事とした。
「……どうして、ハヤトが?」
 とりあえず、気になってる事を聞くと、今度はハルナが不思議そうな顔をした。
「ハルナ、覚えてない?」
「え?」
「ハルナ、うちのゴミステーションで倒れてたんだよ」
「え……」



 何それ?  さすがにそれは引く……と自分の事ながらオレは幻滅しそうになった。どういう状況だそれは。
 オレは恥ずかしく思ったが、それでもハヤトはにこにこと笑っているだけだった。
「……嬉しい」
「え」
「ずっと、ハルナに俺、会いたかったんだ」
「……」
「また、会えてうれしい」
「……」



 やめてくれ。
 そんなにキラキラと眩しい笑顔を、泣きそうに潤んだ瞳を向けられるほどオレに価値はない。
 なのに、昔からハヤトに見つめられると勘違いしそうになる。
 どうしようもなく馬鹿で、無価値な自分が少しだけ真っ当なものに思えるのだ。
 ハヤトといると世界が綺麗に見える。
 灰色の世界が色づいて、虹色になる、何とも言い難い不思議な感覚。
 もう二度と会う事なんてないと思ってたのに。



「ハルナ?」
「……え」
「ハルナ、今は何の仕事してるの?」
「……えっと…」
「は、ハルナさえよければもう少し此処にいてほしいんだけど…」
「……」
 そう照れくさそうに言うハヤトに何を言えば良いのか解らなかった。
 無理だよ、と言えばいいのか、それでも頷けばいいのか春名には解らない。
「え、えっと……その…」
「って、無理だよな!ハルナの家、お母さんもいるし!!」
 あはは、と笑うハヤトのその言葉にオレは動きを止めた。
「……」
「ハルナ?」
「……」
 何を言えばいいのだろうか。
 自分でもまだ死んだだなんて実感がないのにハヤトに説明しろと?そう思いながらもオレの口は冷酷に告げた。
「母ちゃん、死んだんだ」
 納得してないのに、それでも声ははっきりと事実を伝える。
「え……」
「……」
 ハヤトはその言葉に驚いたように目を見開いた。
「……そ、そうだったんだ……」
「うん」
「……」
「……」
 それから少しだけ部屋に沈黙が流れた。  ハヤトは何を言えばいいのか解らないのか目を泳がせて、口を何度も開いては閉じる。たった数十秒。
 けれど、永遠とも思えるほど長く感じた。
 そして、ゆっくりと隼人は声を発した。
「……ごめん」
 何が?と思ったけれども、他の人間とは違う。
 ハヤトはハヤトの考えがあるのだと思った。
「俺……何も知らなくて」
「…いいよ」
「でも、それでなんだなって解った」
「え?」
 何のことなんだろうと、思ってるとハヤトは笑った。
「卒業して、すぐにハルナのとこ行ったのに、ハルナ、引越ししてたから…」
「え」
「ねぇ、今どこに住んでるの?仕事は?」
「……ハヤト」
「ハルナのお母さんにはお世話になったし、ちゃんと俺も挨拶したいな」
「……っ」
 そう言うハヤトに甘えるように俺はハヤトの肩に頭を載せた。
「え?は、ハルナ?」
 お互い隣り合って椅子に座ってるだけあって、ハルナは驚いたものの特に重たい様子はなかった。
「……あのな」
「う、うん」
「全部、聞いてくれる?」
「……」
 その言葉にハヤトは驚いたようだったがすぐにこくりと頷いた。


 オレはハヤトが頷いた事によって箍が取れたのか全て吐き出した。
 母親の死後どうしていたのか、どれくらい苦労したのか、どれくらい辛かったのか。
 ただ一つ、ハヤトに会いたかったという事以外は。



「…そう、だったんだ」
「あ、ああ……」



 呆れられるだろうか。
 もう関わらないでほしいと言われるかもしれない。
 それでも、ハヤトに拒否されたらもうオレは本当の本当に最後の糸が切れる、そんな気がしていた。
「……そっか、だったら、ハルナ―――」
 ハヤトの形の良い唇が動く。
 その笑顔は俺の好きだったあの頃と何一つ変わらなくて泣きそうになるのを耐えた。


「……俺のところで働かない?」
「……え」


 でも、315プロにオレの居場所は…
 そう思っているとハヤトもオレの思っている事が伝わったんだろう。
「そ、そうじゃなくて!家政夫っていうか、ここの家の事をやってくれたらうれしいなって」
「……え?」
「俺、日中いないこと多くて、ハルナが家の中掃除したりしてくれたら助かると思った……ん、だけど…」
「……ハヤト?」
「さ、さすがに迷惑、かな?」
 どうだろう?とおそるおそる尋ねてくるハヤト。
 馬鹿だなぁ、そんなの断る理由なんてなくて、むしろこちらが感謝する方だっていうのに。
「……ハヤト」
「ハルナ?」
「本当にオレでいいの?」
「……え?」
 でも不安だった。
 だって、オレはあの頃のオレじゃない。
 もっと汚くてどうしようもなくて、ハヤトが「格好良い」と褒めてくれていた若里春名じゃない。
 そう思っていても、それでも、


「うん!当たり前だろ!!」


 ハヤトはそういうと思っていた。
 だって、ハヤトは誰かを否定なんてしないから。
 ハヤトは笑って、泣いて、怒って、傷ついて、楽しんで、苦しんで、そんな中ずっと、歩き続けていつも最高の答えを与えてくれる。


「ハルナがいたいだけいて!」


 そうやって握りしめて、いつでも掬いあげてくれる。
 何気ないハヤトの言葉にいつも助けられていた。そして今もそう。
 駄目だと解っていながらそのハヤトの手をけして振り解く事は出来ないんだ。


「そういえば、ハヤト」
「なに?ハルナ」
「オレ、どこで寝ればいいの?」
「……あ」
 そう言われて俺はベッドしかない事に今更気づいた。
 お客様用の布団なんてないし、仕方ないから「今日は俺がソファで寝るよ」ということにしようとしたら、ハルナが「それはダメだろ!」とちょっとだけ口を尖らせて口にする。
「え……」
「ハヤトの家なんだし、ハヤトがベッドで寝るべきだと思う…」
「……ハルナ」
 そう言われるのは嬉しいけど、俺としてはハルナにちゃんとベッドで寝てほしい。
 だったらどうしたらいいんだろう。
 布団を買ってくる?ベッドを注文する?どうしよう……
「で、でも、俺、ハルナにはちゃんと休んでほしい…」
「……ハヤト、それじゃあ一緒に寝るしか方法が…」
「え!?」
 い、い、いい、いっしょにねる!?
 は、ハルナと!?
「……」
 そりゃあ、合宿の時とか一緒に寝たけど別々の布団だったしみんなもいたし……
 で、でも…
「……わ、わかった」
「え?」
「は、ハルナ!一緒に寝よう!!」
「……え」
 でも、それでハルナが安心して眠れるなら!
 そう考えて俺は恥ずかしいけど我慢する事にした。
 同時にハルナは当たり前だけど俺のことなんで特に意識してないんだと思ったらショックだったけれども。
「……あ、ハルナの服明日買いに行こうな」
「え……いいよ、オレは別に…そこまでしなくても」
「ダメだよ!」
「……」
「ハルナは格好良いんだから、格好良い格好しないと!」
「……ハヤト」
 そう言えば何故かハルナは困ったように俯いた。
「ほら、ハルナ早く」
 俺はベッドに先に入ってぽんぽんとベッドを叩いた。
 新しいシーツにしたお陰でふわふわとしていて気持ちがいい。
 ハルナはしぶしぶとベッドの中に入り横になった。
「……なぁ、ハヤト」
「うん」
「オレさ、あの頃と違って多分、ハヤトが目を顰めたくなるような事、いっぱいしてきた」
「……え」
 まさか、ハルナ……
ハルナ、そんな……」
 そういえば、大吾が薦めてくれた本で殺人犯になった男の人の話があったっけ。いやいや、まさかハルナに限って……でも、ハルナ、ゴミ箱で倒れてたし余程の事情があるのかも。
 あ、でもそれなら自首を薦めた方がいいのか?でもでも、ハルナは絶対にそんなことしない。
 うん、大丈夫。たぶん冤罪だよ、ハルナ。
 ハルナは誰かに嵌められてるんだ!
「……オレ、好きでもない女の子と付き合ったし」
「……あ、そうなんだ……」
「…ハヤト?」
「否、ごめん。なんでもない」
 もっと壮大なこと考えてた。そう思いながらハルナに続けて、と促す。
「……何でも良かったんだ。生きたっていう、頑張ったんだっていうの、ある程度見せたら母ちゃんが許してくれるんじゃないかと思って」
「……」
「だから、なんでもした。そりゃあ犯罪になるようなことはしてないけど。一晩宿を貸してくれるっていうから……女の人と一夜を共にしたし、物乞いみたいなこともした。だから、もう、」
「……ハルナは格好良いよ」
「……」
「ハルナが俺と別れてどういう人生を歩んできたのか、俺は解らない」
 そう言って、ハルナの手を握った。
 小さく、その手は震えていた。
 だから少しでも温かくなってほしくて、俺は自分の体温を分けるように強く握りしめた。
 大丈夫。
 ハルナのお母さんじゃないけど、俺がハルナの味方だよって。
 世界中を敵にまわしたって、俺は絶対にハルナを裏切ったりしない。
 ハルナの事、絶対に守る。そう想いをこめて。
「でも、ハルナがそれを言うって事は、変わりたいからだろ?」
「……ハヤト」
「それに、俺の好きなところはそのままだよ」
「……」
「自然体に誰かに優しくできるとこ、いつだって気遣ってくれるところは変わらない。それだけでハルナは世界一格好良いよ」
「……」
 隣を見たらハルナの緑の瞳とかちあった。一瞬驚いて、でも泣きそうなその顔を少しでも慰めたて、俺は手を離して、それからハルナの頭を抱きしめる。
「……ハルナの事、誰が嫌いになったって、俺はずっと大好きだよ」
「……ハヤト」
「……ずっと、お母さんに会いたかったんだよね。そうだよね、ハルナ、お母さん好きだもんな」
「……うん」
「……」
「なんで、母ちゃんはオレを置いてったんだろうってずっと思ってた」
「……」
「なにも、まだ返せてないのに。恩返ししたくて、ハヤト達と別れたのに、結局駄目駄目で」
「……」
「でも、でも……いつか、そう思ってた矢先に……っ」
 そこまで言ってハルナの背中が震えた。上下に動く肩。時折聞こえる鼻水を啜る音。そして胸に落ちる冷たいものに、ハルナが泣いてるのだと解った。
 強く抱きしめるとハルナの体の温かさを感じた。 「だから、死にたかった?」
「……」
 このぬくもりをもうなくしたくなかった。
 ごめん、ハルナのお母さん。
 でも絶対にハルナを幸せにするから。だから、
「ねぇ、ハルナ」
「……ハヤト…」
「俺じゃハルナの生きる理由にはならないけど、でも、ハルナがもう一度生きたいと思えるように頑張るから」
「……」
「だから、どうか、それまで、」
 ここにいて。
 そう口にしようとする前にハルナの顔が上を向いた。
「ハヤト」
「……ハルナ?」
「ありがとう、な」
「……」
 そう言うと安心したのか、ハルナは涙の痕もぬぐわずにそのまま眠った。
「……」
 右手は俺の左手を握って左手は俺の腰にまわしたまま。
「……仕方ないなぁ」
 つかれてたんだな、いろいろと。
 明日は忙しくなる。
 ハルナの服も買わないといけないし、ハルナのお父さんとお母さんをあのままハルナの鞄の中に入れたままなのも可哀想だ。ハルナは「いらない」っていうかもしれないけど仏壇でも買おうかな。
 それから…それから……
 そんな未来を思い描いて、自分はだいぶ浮かれてるなと思った。
 だって仕方ない。
 本当の本当に好きなんだ。
 ハルナの時計はお母さんが死んだ時に止まってるけれど、でも、オレのハルナが好きなまま別れた時計は今ゆっくりと動き出した。
 ごめん、みんな。
 きっと皆に言ったら怒られるかもしれない。でも、俺本当の本当に、ハルナのこと―――



「すき、なんだ」